真田父子について

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”真田父子”は歴史系に分類される小説です。
本作は三編編成となっています。
”真田父子1”から順にお読み頂ければ幸いです。

真田父子1
真田父子2
真田父子3

目次




昌幸と勝頼

新府城へ引きあげて来た武田勝頼に、すぐさま
「いさぎよくこの城をお捨てなされ」
と、すすめた武将がいる。
真田安房守昌幸である。
「それがしの城、岩櫃へお立ち退きなされば、どのようにも御身をおまもりいたします」
昌幸の声は自信にみちていた。
上州の岩櫃城は吾妻の山岳にかこまれていて、ここに立てこもり、精通した地形を利用し、信頼し合っている諸方の豪族や地侍を動員すれば、
「一、二年はもちこたえて見せましょう」
昌幸は熱弁をふるった。
このとき真田安房守昌幸は三十六歳である。
七年前の長篠の合戦で二人の兄(信綱、昌輝)が討死にしたため、真田家の当主となった。
「わが城へ立ち退かれたい!」
小さな身体で熱弁をふるう様をを居ならぶ諸将たちは黙念と見つめていた。
昌幸の亡父幸隆や、二人の兄については、武田の諸将たちもかなりの認識をもっているが、昌幸に対しては未知数なのである。父兄の武勇と実績をそのまま背負ってはいるが、まだだれも、昌幸の実力を見てはいない。
「もはや甲斐におりましては息の根がとまるばかりでございます。それがおわかりにならぬお館様ではござりますまい」
諸将は苦い顔になったが、武田勝頼は昌幸の弁口にこころをさそわれたらしい。
「安房守の申すこともっともであるとおもう」
「では、岩櫃へおこし下されますか?」
勝頼は承知した。
勝頼は昌幸より一つ年長の三十七歳である。
昌幸が少年のころから小姓として父武田信玄の側近く仕えていたので、気心も知れている。
二人でよく遊んだものである。
ようするに勝頼は昌幸が好きであった。
「かならず明日中にはお立ち退きくだされ」
念を入れ、自分はこの日のうちにわずかな家来たちを引きつれ、新府城を発した。
一刻もはやく籠城の準備に取りかからなくてはならない。
これが天正十年(一五八二)三月一日のことである。
武田方で唯一といっていい抵抗をしていた高遠城が落ちたのは翌二日のことであった。

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